「李麗仙、また逢おう!」
母の女優としての部分はどうだったか――。状況劇場がなくなったあと、母自身がプロデュースした舞台もあったし、映画やテレビドラマにも出演していました。ただ、どこか力を持て余しているというか、エネルギーを出し切れていないような、僕にはそんなふうに感じとれたんですね。
母のなかに常にあったのは、かつての状況劇場の日々だったのではないでしょうか。最後はケンカ別れになってしまったものの、状況劇場という空間で、父とタッグを組んだ濃厚な演劇の時間こそは、母にとってかけがえのないもの。才能と情熱とエネルギーがあふれ、いくつもの歯車が見事に噛み合い、燃え盛るような日々を過ごせたのは幸せなことだったはず。
一方で、だからこそ、それを超えられるもの、あの頃のような熱量で完全燃焼できるものをその後、見つけられなかったことは、母には物足りなかったのではないか、とも思うのです。もちろん心の奥底を明かさない母は、そんなことは決して口にしないし、こちらが言えば反発したでしょう。けれど、一番近くにいた同業者としての目線で見て、僕はそう感じるんですね。母は、父の戯曲・演出でないと本領を発揮できない女優だったのだと今は確信しています。
亡くなったから言えることですけど――結局、親父のことが好きだったんだと思う。唐十郎ともう一度、状況劇場をやりたかったんだよね、おかんは。でも、父は父で別の結婚をして、別の劇団をもっていて。母は父への情念に、最後まで振り回されてしまったんじゃないかなあ……。
母が亡くなった翌日、父はその遺体に対面しました。僕が母の死を知らせ、迎えに行ったのです。12年に転倒により脳挫傷の大ケガを負った父は、体もやや不自由です。その父が、母の亡骸に向かい、手を叩き、劇中の歌を歌ったりと、かぶいてみせるんですね。そして最後に、「李麗仙、また逢おう!」と。「親父、悲しいんだけど、カッコつけたんだな」と思いました。それもまた、父らしいといえば父らしい。
本心を吐露せず、弱みを見せず、強気を貫いた母もやっぱり、最後までカッコつけようとした人でした。母の死に際し、僕は「唯一無二のアングラ女優人生を全うして、一片の悔いなき人生だったと思います」というコメントを出しました。母の気持ちを推しはかった言葉ですが、僕としては、どこか少し切なさも残るのでした。