レジェンド雲八、終焉のその後
そんなレジェンド雲八にも、終焉の時が近づいていました。
1604年(慶長9)、雲八さんは病に罹ってしまいます。家康からはお見舞いの使者が訪れますが、8月23日にお亡くなりになります。享年は驚きの97でした。
その後、雲八さんの領地は4人の息子たちに分けられます。
長男(光成)の家系は雲八さんのひ孫の代で断絶したものの、次男(大島光政)と三男(大島光俊)の家系が江戸幕府の旗本(はたもと)として存続。四男(大島光朝)の家系は鳥取藩の池田家の家臣として、それぞれ明治維新まで続きます。
雲八さんは自身が建立したと伝わる大雲寺(だいうんじ。関市伊勢町)に葬られました。大雲寺には雲八さん所用の甲冑などが残り、境内には雲八さんをはじめとする大島家歴代のお墓が建っています。
また大雲寺は、もう一つありまして、迫間(関市)という地域にもあります。こちらの大雲寺は雲八さんか三男・大島光俊が建立したと伝わるお寺で、こちらにも雲八さんのお墓があります。
さらに、刀剣や包丁が有名な関市にある「関鍛冶伝承館」には、雲八さんの末裔が寄進した雲八さんの甲冑も展示されていますし、めちゃくちゃイケメンな雲八さんのキャラクターのパネルも置いてあります。
さぁ、戦国のレジェンド武将に会いに行こう!
※本稿は、『どんマイナー武将伝説』(柏書房)の一部を再編集したものです。
『どんマイナー武将伝説』(著:長谷川ヨシテル/柏書房)
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