浄三さんの読みが的中!

そして翌日、戦いはクライマックスを迎えます。

前日、攻勢に出た臼井城勢でしたが、この日は一転して沈黙。

(写真提供:Photo AC)

それを不思議に思った上杉謙信が、「城中で草臥(くたび)れているのか。または今日の風雨を恐れて出ないのか。攻めてみよ」と言ったところ、重臣の本庄繁長が、「城中には、誠でしょうか、軍配の名人・白井入道が籠っているとのことです。今日は千悔日(せんかいび)という先負の日であるため、城中より出ないのではないでしょうか」と答えます(『小田原記』)。

この時代は特に占いの結果を大事にしていましたので、浄三さんは“先に動いたら負け”を意味する先負の日を「悪日」として動かず、上杉軍の動きを見定めていたようです。

そんな状況に痺れを切らした上杉謙信は、再び臼井城への攻撃を命令。長尾顕長(あきなが。おそらく長尾景長の間違い)の軍勢が猛攻を見せて、大手門を落としそうになったタイミングで、浄三さんの“先に動いたら負け”の読みが的中します。

なんと空堀(からぼり)の崖がいきなり崩れ落ちて、攻め寄せていた敵軍へ崩れ掛かったのです!

この“空堀崩れ”、浄三さんの仕掛けとしたいところですが、本文に「思いも寄らず」とあるので、土砂崩れのような自然現象のものだったということのようで、上杉軍の雑兵(ぞうひょう)が80〜90人ほど圧死したそうです(『関八州古戦録』)。

“空堀崩れ”での死傷者続出を受けて、上杉謙信は撤退を命じますが、そこを狙っていたのが松田康郷など勇敢な臼井城の城兵たちでした。再び出陣した臼井城の城兵たちは、撤退する上杉軍を激しく追撃します。

松田康郷は赤い甲冑を身にまとっての活躍だったことから、上杉謙信から“赤鬼”と称されたとあるように、「臼井城の戦い」のもう一人の主役でもあります。

この最後の突撃作戦の件は“浄三さんの策”とは書いていないんですが、流れ的に浄三さんが追撃の采配を振るっていたと脳内で補完しています。

こうして、上杉謙信は臼井城の攻略をあきらめて撤退。上杉謙信との大一番は、浄三さんに“軍配が上がった”のです!