忠次さんの偉業

その中でも忠次さんの偉業とされているのが河川工事です。

関東には河川や橋などの名前に「備前」と付いたものが様々な場所にあります。この備前というのは忠次さんの官職名である「備前守」のことで、忠次さんや子孫が手掛けたものに由来しています。

たとえば、私の地元の熊谷市から深谷市と本庄市にかけて「備前渠用水(びぜんきょようすい)」という農業用水路があります。利根川から引いているこの水路は、1604年(慶長9)から忠次さんが造ったもので、長さは約23キロもあります。

地元では「備前堀」と呼ばれるこの水路は、素掘りで掘られた忠次さん当時の遺構がよく残っていて、執筆現在では世界で142ヶ所しかない「世界かんがい施設遺産」(国際かんがい排水委員会が選んだ灌漑施設バージョンの世界遺産)に2020年に選定されています。

また、忠次さんは茨城県水戸市のほうでも千波湖から水を引いた水路を整備していて、こちらも「備前堀」と呼ばれています。大正時代から干拓によって千波湖が縮小したため、現在は桜川から水路を引いていますが、1610年(慶長15)に造った頃と同じルートで流れ、現在も農業用の水路として使われています。

桜川との分岐点には伊奈神社があり、備前堀に架かる道明橋(どうめいばし)には河川工事の指示を出している様子を表現した忠次さんの像が立っています。忠次さんは水戸の備前堀を造った年に61歳で亡くなっているので、その集大成ともいえる河川工事でした。