大河ドラマ『どうする家康』『麒麟がくる』などには著名な戦国武将が登場します。しかしその裏に、もっと注目されてもいい<どんマイナー>なご当地武将が多く存在する!と話すのが「れきしクン」こと歴史ナビゲーター・長谷川ヨシテルさん。長谷川さんがそんな彼らの生涯をまとめた著書『どんマイナー武将伝説』のなかから、今回は「インフラ工事のレジェンド・伊奈忠次」を紹介します。
徳川家家臣に至るまでの波瀾の前半生
どの時代も人々が恐れるもの、その一つに水害があります。そのため、河川の工事によって庶民の生活に多大なる貢献をしたお方というのは、その地域で“神様”として尊敬されていることがよくあります。
有名なところだと、「信玄堤」と呼ばれる堤防の基礎を築いたとされる武田信玄は、山梨県民にとって神様そのものです。
そんな神的な人物が関東にもいまして、それがインフラ工事のレジェンド武将・伊奈忠次です!
私は埼玉県出身なのですが、埼玉県民は「伊奈」と聞けば伊奈町を連想する方が多いと思います。そうなんです、伊奈町という自治体名は忠次さんに由来していて、かつて伊奈町に忠次さんの居館である「伊奈氏屋敷」が置かれたことに由来するものなんです。
また、長野県民は伊奈町ではなく伊那市を連想するかと思います。そちらも忠次さんと関係があります。
『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』などでは、伊奈家はルーツを辿ると長野県南部の「伊那」だとされています。ところが、室町時代後半に御家騒動が起きたため、伊奈家はお隣の三河(愛知県)に逃れて故郷の地名を名乗ったそうです。
三河の地で、忠次さんの祖父にあたる伊奈忠基が松平家(のちの徳川家)の家臣となります。他国からの新参者ではありましたが、有能だったのか小島城(愛知県西尾市)の城主となったそうです。小島城の跡地には伊奈家が建立した西方寺(さいほうじ)が今も残っています。