「健さんからのお褒めの言葉」が記されたカード。1996年と97年の2度、「フィリップモリス『LARK MILDS』」のCM撮影でアメリカに行った際に、宿泊ホテルの谷さんの部屋のテーブルに真紅の薔薇の花とともに置かれていた(撮影:本社写真部)

イタリアのジェノヴァやフランスのドーヴィル、ニューヨークのカフェなどで健さんと過ごしたことが懐かしい。撮影現場で大忙しのスタッフと違い、これといってすることのない私は、いつでもコーヒータイムにおつきあいすることができたのです。

取材しているはずが、「谷はどこに旅をしたい?」などとかれて、自分のことをペラペラと喋り続けてしまうのが常でした。人の話を聞くことが仕事の私は、自分の話に耳を傾けてくれる優しさに感動し、健さんを追いかけ始めたのかもしれません。穏やかなまなざしに会いたくて、取材を続けていた節があるのです。

 

健さんの流儀を身近で見続けて

とはいえ、長い年月のあいだには「今はちょっと」と取材に応じていただけないこともありました。それでもめげることなく取材のオファーをしていたのは、健さんが「現状維持は停滞だ。一日一歩でも先へ行け」と話しておられたからです。

高倉健という役者に「静」のイメージを抱く方が多いのですが、実際の健さんは行動力の人でした。マネージャーを持たずに、スケジュール管理も、仲間内での車の運転も、荷物運びも自身でなさっていました。「鞄を持ちましょうか?」と申し出ても、「谷は取材に来たんだろう、そんなことはしなくていい」とおっしゃって、自分のことは自分でという姿勢を貫き通していたのです。

雑誌などに掲載される記事のゲラ刷りも必ずご自分で確認し、問題があれば「直してほしい」、問題がなければ「オーケー」と、電話で直接お返事がありました。

届いた手紙にはすべて目を通し、時には自筆のサインを添えて返信する。これも徹底して行っておられた健さんの流儀の一つ。地方ロケに同行した折、「今夜は谷から3年前に届いた手紙を読むぞ」と言われてギョッとしたことがありました。

忙しくて封も開けられずにいたファンレターや知人から送られてきた手紙を、ボストンバッグに詰め込んで持参しているというのです。事務所の方に任せたりせず、すべてご自身で開封し目を通していることに驚きました。人から向けられた想いを決して無下にはしない。感謝の気持ちは行動で示す。自分の仕事に責任を持つ。挨拶は相手の目を見て交わす……。健さんから学ばせていただいたことはたくさんあります。

アドバイスも一流でした。出会った頃の話ですが、食事の席で、「谷は30を過ぎているのに恋人の一人もいなくて心配だ」という話題になった時のこと。健さんは「この世には絶対に谷にぴったりの男がいるからな」と。「ただし出会えないこともあるんだよ」と続けます。綺麗ごとを言って終わらせない。あれは実に健さんらしい誠実な励まし方でした。