谷充代さん(撮影:本社写真部)

私は36歳で結婚しました。報告は控えていたのに、人づてに耳に入ったのでしょう。結婚式に祝電を打ってくださいました。娘を出産した折にはお祝いのカードを添えてバギーを贈ってくださった。

私がいつもつけている銀のペンダントも、健さんからいただいたものです。「冷に耐え 苦に耐え 煩に耐え 閑に耐え 激せず 騒がず 競わず 従わず もって大事をなすべし」と「四耐四不訣」の漢詩が刻まれています。生きていくのは楽ではないけれど、覚悟せよと諭してくださったのでしょう。

実際、私の人生もいいことばかりではなく、結婚生活と仕事の両立の難しさに悩んだ末、失声症になってしまったことがありました。すると健さんは「谷、苦しかったら離婚していいんだぞ。世間体はどうでもいいじゃないか」と。そして「俺もしたからなぁ」とぽつり。離婚の話は禁句なのでは? と、こちらのほうがヒヤヒヤしましたが、そうまでして私に伝えたかったのは「覚悟を持って生きろ」ということだったに違いないのです。

健さんのおかげで、結婚も仕事もと望んだのは自分なのだと気づくことができました。そうである以上、頑張るしかないと気持ちを入れ替え、結婚生活の危機を乗り越えて、今も何とかやっています。

 

健さんが愛した二人の女性

若い頃は怖いもの知らずで、「健さんはお金持ちですよね?」と切り出してしまったことがありました。「金なんてないよ」と笑ってましたけれど。女性のことで立ち入ったことをいってしまったこともあります。

それまで健さんから贈られてくる季節の挨拶は果実だったのに、ある時、素敵なキャンドルが届きました。その直後に同行したフランスの旅の途中、ホテルでお話しする機会があり、お礼を伝えつつ、「もしや、おつき合いする女性が変わりましたか?」と尋ねてみたのです。

その場では適当に流されてしまいましたが、翌日、自分の部屋へ戻るとテーブルに薔薇の花束とカードが載っていました。贈り主は健さんで、カードには、万年筆で「阿呆!」と一言。図星だったのでしょう。(笑)

健さんの好みのタイプは、朗らかで無邪気な人です。江利チエミさんは、まさに理想の女性だったのではないかと思います。離婚してしまわれましたが、お二人は固い絆で結ばれていました。

健さんと知り合った当初、私は大事な取材の前にはチエミさんのお墓へ行って「うまくいくよう応援してください」と手を合わせるようにしていたのですが、墓石の前にはピカピカに磨かれたグラスが二つ。一つは日本酒、もう一つにはウイスキーが注がれ、早朝に行った際にはロックアイスが浮いていた。後に健さんの家がチエミさんの眠る墓地のすぐ近くであることを知りました。