2003年、著書『旅の途中で』の編集合宿の際に、地元の人たちと和やかに記念撮影をする高倉さん

お母様への想いも深く、海外のホテルでも部屋にお母様の写真を飾り、その横に現地で調達した花を供えて……。「オフクロが死んだ時、『あ・うん』の撮影中で葬式にも出なかったからね。せめて一緒に旅をしようと思って」と話していたのが印象的です。きっと、天国でお母様やチエミさんと再会し、幸せに過ごしているのではないでしょうか。

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最後にお目にかかったのはいつだったのか。私は母の介護と重なって、『あなたへ』の撮影現場に行くことを迷っていました。でも今にして思えば不思議な流れで、知り合いのカメラマンから「健さんの故郷やご両親の眠る菩提寺の撮影をしたいから案内してほしい」と頼まれ、2泊で九州へ行きました。

その折に撮影中のロケ地にも行ってみようという話になり、健さんが宿泊しているホテルの前で、あの部屋に滞在しているのだなと思いながら窓を見上げて……。会うことはなかったのですが、あれが生前の健さんに触れた最後でした。

月日が経つにつれ、思い出が湧き上がってきます。会いたいですね。会って「私は最後まで油断しません」と伝えたい。健さんはよく、周囲の人たちに「油断するな」と言っていました。何があっても調子に乗ったり、自慢したりすることなく謙虚に生きろという意味です。

馴れ馴れしい人にも厳しかった。ガツガツせずとも、縁のある人とのつき合いは続くと考えていたのです。だからこそ、縁のある人は大切にしなくてはいけないのだと。

これからも、健さんの取材を続けていきます。所縁のある方や場所を取材する“行”を通じ、健さんと再会できるような気がして。「故人の生きた軌跡を心に刻み、自らの生きる力に変えていく」というのが健さんの別れの流儀でした。健さんに倣い、懸命に生きていきたいと思います。