羊毛フェルトに針を刺してふんわりさせていく

尽きない創作意欲

フェルト針を持つ手を動かしながらにこやかに語る山下さんだが、これまでを振り返ると波瀾万丈の人生だ。

生まれは1929年。高等女学校4年のとき、父の赴任先の北京に家族で渡った。単身で寄宿舎に入ったが、1ヵ月後に敗戦を迎える。戦後の混乱を経て、なんとか約1年後に帰国し、家族と涙の再会を果たした。

そして美大に通う姉に憧れ、武蔵野美術大学彫刻科へ進学。しかし父親は大陸から引き揚げてきたばかりのうえ、きょうだいのうち6番目だった山下さんは、自力で学費を稼ぐことに。

「焼け残った荻窪の実家で、大学に通いながら絵画教室を始めたんです。従姉妹が子どもの友達を16人も集めてくれて、本当に助かりました」

先輩と夜な夜な新橋や銀座の盛り場に行き、似顔絵描きにも勤しんだ。「デッサンの腕を磨くことはできたけど、酔っ払い相手の仕事は嫌なこともありましたよ」。