書く才能を伸ばしてくれた「学習計画ノート」

引退して自分の人生を振り返ってみると、やっていることは昔も今も変わらないなあとしみじみ思います。

僕はスポーツ用品店と自転車屋さんを合わせた店を営む家に生まれ、寡黙な父と明るい母のもとで育ちました。余談ですが僕が25歳の時に、学校との受注契約が切られたことが原因で、父は1億円の借金を抱える立場に。打ち明けられた際は途方に暮れましたが、そんな僕に某テレビ局のディレクターは「その話、面白いから会議で話してよ!」言うではないですか。

そんな馬鹿なと思いつつ会議で披露したところ、本当にウケて。「そうか、この業界ではこういうことも面白がるくらいでないとダメなんだ」と気持ちを立て直し、数年かけて無事に完済することができました。

ものづくりの楽しさを知ったのは小学6年生の時です。当時、僕は生徒会長をやっていたのですが、学校では毎月、全校生徒の前で「この町の人口は」とか「ここで獲れる海産物は」といったことを発表をする決まりがありました。

でも、そんなの全然面白くないじゃないですか。そこで大映ドラマのパロディーを自作して皆の前で演じたところ、これがものすごくウケて(笑)。その後も国語の時間に友達をモチーフに小説を書いたら、先生が「独創的で面白い」と褒めてくれたりして、すっかり創作の楽しさに目覚めてしまったのです。

なかでも大きかったのは、中学時代に提出していた「学習計画ノート」です。他の生徒は2年生くらいになると出さなくなるのですが、僕は先生が書いてくれるコメントが嬉しくて、そして先生を楽しませたい一心で、毎日せっせと書き続けていました。

書く才能を伸ばしてくれた先生との学習計画ノート

やっぱり自分の書いたものにリアクションしてもらうと張り合いが出るんですよね。僕の場合、大人になってからはそれがバラエティー番組の構成やドラマの脚本に変わっただけで、やっていることは当時と同じ。僕の才能を伸ばしてくれたのは、間違いなくあの時の先生とのやり取りだったと感謝しています。