北海道へ向かった義経一行
義経北行伝説では、平泉を脱出した義経は十三湊(とさみなと)へ向かったとされる。当時、十三湊は藤原秀衡の弟の秀栄(ひでひさ)が治めていた場所だ。
そこに立ち寄り、さらに北へ向かったとされる。なお当時、十三湊から大陸へ渡ることは十分可能だった。
義経の時代から遡ること200年ぐらい前には渤海(ぼっかい)国から十三湊へ使者が来ていたことがわかっている。200年前にできたのだから、より船の性能が上がった鎌倉時代にできないことはない。
しかし、義経一行は北海道へ渡っている。
その理由は、大陸への野望がなかったからかはわからないが、まず、馴染(なじ)みの場所へ行きたかったと考えていいだろう。
当時、北海道は擦文(さつもん)文化からアイヌ文化に変わったとされるころだった。
擦文文化は東北北部の人々が北海道に農耕文化を持ち込んで成立した。だから、東北の人々にとって北海道は未開の地ではなく近隣という認識だったに違いない。
しかし、鎌倉の人々にとっては遠い地の果てに感じたはずだ。だから、義経一行が逃げるには最適である。
十三湊は藤原氏の土地であることは明白だから、すぐに鎌倉軍が来るであろう。実際、その後、十三湊は鎌倉側の安藤氏に奪われている。
北海道には義経や弁慶(べんけい)の伝説が多く残っている。ここでは、その一つ一つを検証しないが、どの地でも義経一行は一時的、長くても数年で、その地を離れている。
義経一行は定住していない。その場所に骨を埋めていないのだ。