「ハンガン」という共通点

ちなみに、アムール川の少し上流にハバロフスクがある。

そこの博物館には日本式の古い甲冑(かっちゅう)と笹竜胆(ささりんどう。源義経の家紋)が描かれた朱塗りの机があったという。

(写真提供:Photo AC)

またアムール川支流のウスリー川の河口にあるナホトカの近くには、ハンガンという湾があり、その近くには500年以上も前の建築物に笹竜胆が描かれていた。

義経の正式な名称は判官(ハンガン)源九郎義経である。

偶然ということもあるが、義経一行が来た可能性も全く否定はできない。

その後の義経一行の足取りは、一旦ウスリー川を逆流し、アムール川に沿って内陸のチチハルに出て、そこから大興安嶺山脈(だいこうあんれいさんみゃく)を越えてモンゴル高原に入ったとなっている。

その過程にも上記したような義経一行の軌跡があるのだが、それもあくまで決定的証拠というより可能性としてあるというにすぎない。

しかし、だからといって、まったく可能性がないかというとゼロではない。

誰でも行ける場所なのだから、仮説としては荒唐無稽だが、物理的な可能性としてみればできなくはない。