義経がモンゴルを征服できたのか

源義経一行がモンゴル高原に行けたとしても、彼らがモンゴル高原を支配することはできたのか。

ただし、これもゼロではないのだ。

圧倒的武力を持っていれば、ある文明を破壊させることや従わせることは可能である。実際、南米の高度に発達したインカ帝国を、スペインのピサロは、いとも簡単に征服した。

はたして、義経一行の武力は圧倒的だったのか。それを考えるにあたって、チンギス=ハンの強さの秘密に迫ってみるとわかりやすい。

チンギス=ハンの強さはなんだったのか。その第一は騎兵である。騎馬軍団の強さである。そして、奇抜な戦術にあった。これが初期のチンギス=ハン軍の強さを支えた。

これは、まさに義経軍の強さと同じだ。

鵯越(ひよどりご)えの戦いで義経は、平家軍の真後(うしろ)にある絶壁から騎馬隊を率いて駆け下り、虚を突いて勝利を収めている。

騎馬の巧みな捌きと卓越した(想像を超えた)戦術を取っていたのが義経である。義経がチンギス=ハンであってもおかしくないし可能性はゼロではない。

ただし、その強さの一致はただの偶然と考えることもできる。

それに、後世の創作だとはいえチンギス=ハンの出自 (しゅつじ)を綴っている『元朝秘史(げんちょうひし)』や『集史(しゅうし)』と、「義経はチンギス=ハン」説はどう折り合いをつけるのか。それらの出自をまったくの創作として乱暴に片付けてしまうのか。

この義経=ジンギスカン説には弱点は多い。決定的証拠はない。ただし、まったくの出鱈目(でたらめ)だと片付けてしまうのも乱暴かもしれない。

※本稿は、『あなたの知らない日本史の大常識』(宝島SUGOI文庫)の一部を再編集したものです。


あなたの知らない日本史の大常識』(著:日本博識研究会/宝島SUGOI文庫)

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