女真(じょしん)族の交易
なぜだろう。やはり、鎌倉幕府が怖かったのか。それとも、武士の血が騒いだのか。
義経一行の連中は土着の武士ではない。坂東(ばんどう)武者のように土地を背負いつつ(農業をしつつ)戦っていた者たちではない。
義経自身、京都の鞍馬(くらま)で武者修行をして、奥州で馬術と剣術を磨き、源平合戦では各地を転戦して勝利してきた。
その義経と共にした武士たちは根っからの流れものなのだ。北海道にも根付くことなく北へ向かったと思われる。
しかし、ここからの義経一行の情報はかなり乏しくなる。それはサハリン(樺太<からふと>)に向かったからだと思われる。
当時、サハリンへ行くのは可能であった。ツングート系の女真族の人々が、北海道から中国大陸にかけて大規模な交易を行っていたからだ。
彼らについていけば、サハリンだけでなく中国大陸に渡るのも全く問題がなかっただろう。
実際、江戸時代に間宮林蔵(まみやりんぞう)はサハリンの北端からアムール川付近に上陸している。いまでも、林蔵が渡った海峡は間宮海峡として知られている。