昔から、相撲のスタイルは変わらず

僕の生まれは、相撲どころの青森県西津軽郡深浦町。父は漁師をし、実家は小さい民宿のような旅館を営んでいました。右を向けば海、左を向けば山。海ではマグロも獲れるし、鮭にヤリイカ、鱈、潜ればアワビやサザエも。山では蕗などの山菜を採ってきて、子どもの頃はよく蕗の皮むきを手伝っていました。

田舎なので、どこに遊びに行くということもないんですよ。汽車だって、夜6時が最終ですからね。うっかりどこかへ行ったら、帰ってこられなくなる。(笑)

父が青森県の相撲連盟会長もしていて、近所の道場で小中学生相手に指導していました。学校が終わると父について道場に行っていたので、気づいたら相撲をとっていたような感じです。相撲が盛んな土地だから、生活の一部に相撲があって、町の人も相撲をする子どもに対しては優しくて、扱いが違うんですよ。

「おお、相撲やってるのか! ジュース飲んでけ!」と声を掛けてくれるけど、野球だとそうはいかない(笑)。あと、冬は雪が積もるので、屋外のスポーツはなかなかできない、ということもあります。夏になると毎週のように祭りがあり、相撲大会があって。観客の応援の熱量が半端じゃなかったですね。

相撲を本格的に始めたのは小学3年生くらいで、当時の体は縦にも横にも、むちゃくちゃ小さかった。負けて悔しくて泣いても、少しずつ勝てるようになれば、やっぱり嬉しくて楽しくもなる。昔のビデオを見ると、頭をつけて、まわしを取って……と今と相撲のスタイルが全然変わっていない。小学生の頃から、それだけは変わらずやってきたんですね。

中学3年の11月に、高校卒業を控えた3つ年上の兄貴と一緒に、親戚でもある師匠の安治川部屋(当時)を訪ねました。兄貴は高校時代、そんなに強くなかったのに、序ノ口の力士と稽古して通用してた。そのまま兄貴は卒業後に入門することになりました。

兄弟が一度にいなくなってしまうのもどうかな、と思ったので、僕はいったん高校に進学しました。師匠は、元横綱・旭富士で、父のいとこにあたります。僕にとっては、「たまに仏様に手を合わせに来る、大きなおじさん」でしたね。(笑)