野宮神社で罪や穢れを祓い、人生をリセットする

嵐山屈指の観光スポットだけあって、野宮神社はいつも国内外の観光客で賑わっています。本殿前に長蛇の列ができていて、お参りするのも一苦労というときも。『源氏物語』の旧跡と知って訪れる人はそれほど多くないようですが、『源氏物語』をモチーフにしたお守りも人気です。

野宮神社で授与される「源氏物語旧跡 開運招福御守」(撮影◎筆者)

ですが、日が暮れると、あたりは怖いほどの静寂に包まれ、禊(みそ)ぎの地にふさわしい神聖さが戻ってきます。

「人間は本来、無垢なものであるはずなのに、誰しも生きていくうちに、無理をしている部分がありますよね……いい意味でも、悪い意味でも。そういう罪や穢(けが)れを、ここで祓い清めてもらいたい。この神社は、そういう力のある場所だと思います」そう懸野宮司は話します。

積もり積もった穢れがすっと流れ落ち、無垢な自分に戻っていく……。いわばネガティブな自分を断ち切ることができる場所だと説くのです。

「六条御息所もそんな気持ちだったと思うんですよ。あの方は、素直な感情表現ができない方。葵の上を呪い殺したときも、理性で感情を抑えていたために、魂が無意識のうちにさまよい出て、葵の上にとりついてしまった。そんな自分に対して思い悩み、苦しんだ六条御息所は、魂をここで祓い清めようとした。ここでなら執着を断ち切ることができると思ったのではないでしょうか。今風にいえば、人生をリセットしようとしたわけです」

六条御息所を題材にした能には、この地を舞台にした「野宮」という演目もあります。六条御息所の亡霊が、野宮での光源氏との逢瀬を懐かしみ、過去への妄執にとらわれながら舞うというもの。多くの人が六条御息所に抱くイメージと同様に、この能楽でも「執着する部分だけが強調されている」と懸野宮司は嘆きます。

「野宮」の最後は「火宅の門(かど)をや出でぬらん」の繰り返しで終わります。火宅から、迷い苦しむことの多いこの世界から、私は逃れることができたのだろうか……愛しい人との別れの記憶にひたりながら、そう自問自答するのです。

果たして、六条御息所は、ここで妄執を断ち、人生をリセットすることができたのか。野宮神社に満ちる禊ぎのパワーを感じながら、自分なりの解釈を考えてみるのもおもしろいのではないでしょうか。