寂しい場所ではなかった野宮

虫の声が響く夕霧の松林、吹き渡る風に枯れた秋草が揺れるといった具合に、『源氏物語』の野宮は、都から離れたうら寂しい場所として描かれています。ですが、「野宮として使われていた時代は、そんなに寂しい場所ではなかったはずですよ」と、野宮神社の宮司・懸野直樹さんは語ります。

「静かな田舎のように思われているのですが、平安時代、嵯峨野のあたりは貴族の別荘地で、御所のほうから人の行き来も頻繁にあったんです。当時は竹林ではなく、松林が広がっていて、虫の声を聴いたり、紅葉狩りをしたりと、特に秋に賑わっていたようです。また、野宮の敷地は今の神社よりもかなり広く、斎王にお仕えする人も200人くらいいたと考えられています」

野宮の殿舎は斎王一代ごとに取り壊され、建て替えるならわしだったといいます。造営する場所も同じではなく、近辺で移動しており、頻繁に使われた場所が神社として残っていると考えられるとか(野宮神社のほかに、斎宮神社、西院野々宮神社などが現存)。7世紀後半から約660年続いたこの斎王制度については、別の機会に詳しくご紹介したいと思います。

平安貴族の別荘地だった嵐山。渡月橋の周辺には、今も松の木が多い(撮影◎筆者)

懸野宮司によれば、紫式部が『源氏物語』の執筆をはじめた頃、一条天皇の斎王は既に伊勢に赴いており、野宮は使われていなかったそうです。

「ただし、以前使われていた建物はある程度残っていたかもしれません。廃墟のような雰囲気があったので、あんな寂しい描き方になったのではないでしょうか」

これは興味深い指摘だと思います。