ファッションに取り入れられるようになったスニーカー
アウトドアとバスケットという二つの潮流は、バブル経済とともに全盛を迎えたクラブ文化がもたらしたダンスブームにもリンクしていくが、とにかく1990年代前半はマーケットが混沌とし、あらゆるジャンルがクロスオーバーしながら、新たなフィールドへと収斂していった。
こうした大きな流れを一部のスニーカー好きの若者たちは直感で汲み取っていた。彼らの特徴は、渋カジを通過したことで日本独自のミックス感度が養われていたことにある。
実際、彼らを中心に、全体としてはまだマイノリティーでも、古着に古いスニーカーを合わせるヴィンテージ系と、アメリカをお手本に自分たちのミックス感覚を楽しむアウトドア系という2大スタイルが確立される。この頃からスニーカーがファッション感覚で積極的に取り入れられるようになった。
※本稿は、小澤匡行『1995年のエア マックス』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
『1995年のエア マックス』(著:小澤匡行/中公新書ラクレ)
ファッション界を席巻するスニーカー。人気アイテムは国境を越えての争奪戦が起き、定価の数十倍で転売されるようになったが、著者は「ターニングポイントは日本で大ヒットしたナイキ『エア マックス 95』だった」と指摘する。NBA、ヒップホップ、裏原宿、SNS――。スニーカーの先に、世界はある!