紫式部が思い出しているのは?

往路の歌の間に紛れ込んだ錯簡(さっかん)であろうが、琵琶湖東岸の磯の浜(現:滋賀県米原市磯)で、磯の陰で鳴いている鶴を見ては、

磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なに思ひ出づる 人やたれぞも
(磯の浜のものかげで、私と同じ気持ちで鶴が鳴いている。一体何を思い出しているのかしら。思い出しているのは誰なのかしら)

『紫式部と藤原道長』(著:倉本一宏/講談社)

と詠んでいる。紫式部が思い出しているのは、もはや越前に残してきた為時ではなく、都で待っている宣孝だったのであろうか。

長徳4年の夏、宣孝から、「親しく話すようになって、2人は互いに心がわかったでしょう。この上は、同じことなら、隔てをおかない仲となりたいものです」という歌が届けられ、それに対して、

へだてじと ならひしほどに 夏衣 薄き心を まづ知られぬる
(私は心の隔てをもたないようにと思っていつもお返事をしていますのに、「へだてぬちぎり」をもちたいとおっしゃるお言葉で、まずあなたのお心の薄さがわかったことです)

と返してなじっているのも、正式な結婚に向けた手続きといったところであろうか。

なお、この年の8月27日、宣孝は山城守(やましろのかみ)を兼任することになった(『権記』)。