宣孝との結婚

そして長徳4年(998)の冬に、紫式部は宣孝と結婚した。

これが越前下向前からの予定の行動なのか、それとも田舎暮らしに飽きた末の行動なのかはわからないが、私にはどうも、為時の着任が一段落したら京に帰って宣孝と結婚するのが既定の行動だった気がしてならない。

(写真提供:Photo AC)

紫式部は当時、26歳前後と考えられるが、これは当時としてはきわめて遅い初婚で、2度目の結婚という説もあるくらいである。

ここまで婚期が遅れたのは、なにも紫式部の内省的な性格や結婚観や性的嗜好によるものではない。

紫式部の適齢期に為時が無官であったためである。

当時は男性が婿として妻の実家に入る結婚形態であったから、政治的にはもちろん、経済的にも後見(こうけん)の期待できない為時の婿になろうなどという男は、現われるはずがないのであった。

紫式部としても、装束や食事や牛車の用意もできない我が家に婿を迎える気にはなれなかったであろう。