昔の産婦人科医は男性ばかり
私は、1930(昭和5)年の生まれです。医師の家系ではなく、家業は出版業。5人きょうだいの2番目、次女として生まれました。小さい頃は体が弱くてね。体調を崩すたびに診てくれた小児科の先生が素晴らしい方で、次第に「先生のような医師になりたい」と思うようになりました。
私が女学校を卒業したのは終戦直後です。当時も東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)はありましたが、私は共学がよかった。男女がともに学び、交流することで、新たな考え方を発見することができるのでは、と思っていたからです。
ところが他大学の医学部は女性に門戸がほとんど開かれていなくてね。そこで医師は諦めて、薬学を学べる学校に進学します。
卒業後は東京大学で研究職につきました。私が選んだ研究対象がホルモンです。男女の生物学的な違いについて研究するうちに、「医師になりたい」と再び思うようになって。挑戦したところ、なんとか群馬大学の医学部に入学することができました。その時、私は26歳。60人くらいのクラスのうち、女性は3人でした。
もともとホルモンを研究していたので、思春期から閉経に至るまでの、女性の体の変化についての知識は人一倍ありました。そこで目指したのが、産婦人科医です。今では考えられませんが、当時の産婦人科医は男性ばかり。同じ女性だからこそできることもあるはずだ。そう考えて志したのですが、またもや壁にぶつかりました。
医師として働くためには、どこかの医局に入らなければなりません。そこで東京大学の産婦人科に連絡を取ったところ、「これまで女性の医師はいませんから、無理です」と取り付く島もない。「女だから」という理由による拒絶には本当に腹が立ちました。
ところがしばらくして、急に入局を許すと言うのです。なんでも東大に縁のある方の娘さんが入局を希望しているとか。だからあなたも許可しますと。釈然としませんでしたが、チャンスですからもちろん入局しましたよ。
医局は男ばかりでしたが、とまどいはなかったです。むしろ周囲のほうが気を使っていたのではないかしら。医局から派遣されて病院を回っていると、患者さんやスタッフは女性の医師を見たことがない。患者さんに、「看護婦さーん!」と呼ばれるのもしばしば。あとで医者とわかってびっくり仰天されました。
私が診療することが当たり前になると、患者さんに「女性医師だから悩みを伝えるのが恥ずかしくない」と言われることも。そう聞くと、やはり女性医師の存在は必要なんだと思うようになりました。