彼女がヒールを履く理由

ある週末のこと。たまたまエレベーターでそのおばあさまと居合わせることがありました。気まずい沈黙を破ろうとした私は、後先考えず、

「そのお靴、素敵ですね」

と口走っていました。

(くだらないことを言ってしまった……)

後悔していた矢先、マダムがにこりともせずに言いました。

「5センチよ、5センチ」

「??」

「ヒールは5センチが最適なの」

見てみると、確かにヒールは高すぎもせず、低すぎもせず、ぴったり5センチです。

「やっと自分に合う高さがわかったのよ」

キョトンとしている私におばあさまは、

「いろいろわかったのは、60を過ぎてからよ」

そう言い残し、エレベーターを降りて行ってしまいました。

おばあさまは、自分に合い、自分が素敵に見えるヒールの高さを長年発掘してきたと言うのです。そしてそれを見つけるのに60年かかったと言うのです。エレベーターに一人、取り残された私は、なんだか背筋を正された思いでした。