長野・善光寺の参道にて(写真提供◎松井さん)

対等な関係で愛せる人に出会う

映画監督として5本の作品を撮り、気づけば70歳を過ぎていました。体力的に以前のように無理がきかないと感じ始めたころ、少しずつ仕事が減っていったのです。年齢を理由に社会から〈外された〉ような疎外感。

追い打ちをかけるようにコロナ禍に突入し、「このまま一人で死んでいくのだろうか……」と考えましたし、覚悟もしました。

そんなさなかの2021年夏、友人からある思想史家の市民講座の話を聞き、不思議と心惹かれて。10月、先生と出会ったのです。

講座後の懇親会に参加して、初めて話をしました。実は私、そのときは、17年に他界された先生の奥様で、著名なドイツ文学者だった子安美知子さんとの結婚生活について興味があったのです。取材する気持ちから、かなり不躾な質問をしたと思います。けれど先生は微笑みながら美知子さんとの思い出を語り、写真まで見せてくれました。

もっと話をしたいと思ったのは私だけではなかったようです。お互いの著書を読み、メールで言葉を交わすなかで惹かれ合った私たちは、週末にはどちらかの家を訪ねてワインを飲みながら語り合うようになりました。

私にとって先生が貴重だと思えたのは、男女であっても対等な関係を自然と求める人であったことです。自立した一人の人として愛し合う。以前の結婚では、考えられないことでした。

先生の東京の自宅から私の住む横浜までは、電車で1時間半。お元気とはいえ90歳間近の彼が一人で電車を数回乗り継ぐ道中は、行きも帰りも心配でなりませんでした。一方、私が出向くときは、先生が心配していたようです。

彼は娘夫婦と同居していて、私が訪ねたときに、彼らと食卓を囲むこともありました。その席で娘さんから背中を押され、私たちは結婚へ踏み出したのです。その決断は、とても自然ななりゆきでした。やはり、かけがえのない人と出会えたという思いが強かったのだと思います。

海外に暮らす私の息子も大賛成。夏休みに息子と孫が帰国した際は、先生の孫娘も加わって家族揃って食事をし、楽しい時を過ごしました。

後編につづく