学生時代の仲間と25歳で結婚し、3年後に息子を出産。そのころには結婚相手が仕事をやめて収入がなくなっていたので、私が雑誌に記事を書いて生活費を稼ぎました。まだ女性のライターは少なかったため重宝され、仕事は楽しかった。でも家に帰ると、苛立ちを私にぶつけて荒れる夫に怯えていました。

当時はDV(ドメスティックバイオレンス)なんて言葉もないし、行政も助けてくれない。外にはひたすら隠すしかなく、家では夫の顔色を窺って。何でも夫に決めてもらっていました。

そんな生活が、33歳で息子を連れて離婚した途端に一変。最初は、「これからは全部自分で決断しなくては」と不安でいっぱいでした。でも、実際に自分で決める生活を始めてみたら、実に爽快だったのです。

仕事で何かを生み出し、評価される喜びを知ったのも離婚後のこと。とにかく目の前の仕事で結果を出し、次に繋げることに必死でした。

それは何より息子を育てるため。子育てしながら働くのは大変でしたが、何があっても、「あの結婚生活に比べたら平気」と思えた。そうやって私は少しずつ強く、そして自由になれたのだと思います。

50歳のとき、初めて監督として映画『ユキエ』を撮りました。テーマは「老いて添い遂げる夫婦愛」。離婚して自由になり、自立して生きてきたことに何の悔いもなかったけれど、「結婚に失敗した」という思いは、私の奥底にずっとあったのだと思います。

というのは、40代後半のころ、仕事の合間に実家を訪ねると、昔は愛し合っているとは到底思えなかった両親が、80歳を過ぎて、お互いを支え合って暮らしているのです。その姿を見るたびに「私はこれができなかったんだな……」と感じてしまう。 そんな思いが映画『ユキエ』に繋がったのでしょうね。

最初の結婚をしていたときも、離婚後に自立して仕事を頑張ってきた40年間も、私にはどれほど求めても得られなかったものがありました。それが何なのか当時はわからなかった。けれど、「大切な何かがない」ということだけはずっと感じていました。