記号の統廃合
戦後になって初となる昭和30年図式では記号の統廃合が積極的に行われた。
記号は多い方が対象を的確に表現できるのは言うまでもないが、それだけ読者の負担も増すため、多くの国民に読んでもらうための統廃合であった。その中で梵塔は高塔に含まれることになる。
当時は類似の記号として「給水塔」もあった。
昭和30年代から大都市圏で急速に増える団地のまん中のシンボリックな存在として良い目印にはなったが、これも昭和40年図式で高塔記号に統合されたため、高塔の守備範囲はさらに広くなっていく。
高塔記号の変遷を明治期からずっと追っていくと、聳える建物の増加に伴って種類を分ける必要に迫られたものの、戦後の記号の統廃合の波と都市圏における高層建築のさらなる急増が、地形図の記号の命である「目印」としての高塔記号の価値を低下させてしまう。
平成25年図式では記号のハードルを60メートルと大幅に高めたことで火の見櫓や団地の給水塔はその地位を剥奪されるが、象徴的なのが札幌の時計台だ。
かつては周囲から抜きんでた、まさに聳える目印であったがゆえに高塔記号が燦然と輝いていたのだが、時代は進んで今やビルの中に埋もれている。
それだけ日本の景色が立体化した証拠であろう。
※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)
学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。