「硫黄島はB29の天国」

『戦史叢書』によると、硫黄島の航空基地化は、日本海軍が1933年に南部で飛行場を整備したことが起源だ。

その後、戦局悪化とともに滑走路の拡充が進んだ。最終的には島南部の「千鳥飛行場」のほか、中央部に「元山飛行場」、その北側に「北飛行場」を整備した。

硫黄島発の戦闘機に襲われた変電所が今も東京都東大和市に残る(2022年4月)(写真:『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』より)

1945年2月19日に硫黄島に上陸した米軍は、日本側守備隊との戦闘と並行して、重機を使った元山飛行場の拡張工事に着手した。

B29が離発着するためにはより長い滑走路が必要だったからだ。

その滑走路にB29が初着陸したのは米軍上陸から2週間後の3月4日だった。

これを皮切りに硫黄島は、日本本土爆撃作戦で被弾・故障したB29の緊急着陸地となった。終戦までの着陸数は2000機を超えたとされる。

「硫黄島はB29の天国」。そう記された米側戦記もある。