最後の最後まで

このほか、硫黄島を燃料補給拠点とした場合、サイパン発の爆撃機は燃料を半減できる一方、本土に投下する爆弾の積載量を格段に増やせるという利点もあった。

こうした米軍側の思惑を、島を守る兵士たちは知っていた。

『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(著:酒井聡平/講談社)

兵士だけでなく、一般国民も分かっていた。新聞が盛んに米軍側の狙いを報道していたからだ。

だからこそ守備隊は95%が戦死するまで戦ったのではないか、との見方もある。

1945年3月26日。全滅間近の守備隊が最後の総攻撃で出撃した先は、すでに米軍制圧下にあった飛行場方面だった。

守備隊は最後の最後まで米軍による本土爆撃を妨げようとしたのかもしれない。