義父母の介護をスタートさせた理由

最も避けたいと考えていた義理の両親の介護を私がスタートさせた理由は二つある。

まず一つ目。義母の認知症を確信した瞬間、すべてを目撃したいという好奇心が勝ってしまった。これは文章を書いて暮らしている人間の性のようなものだろう。

私は記録魔で、日々の暮らしで起きる様々なできごとを、その都度文章で残している。これはもちろん、あとから原稿を書くための習慣だ。

そんな多くの記録のひとつとして、義理の両親の老いを身近な場所から観察し、つぶさに記していくことを決めた。

そして二つ目は、「シスターフッド」(女性同士の連帯)だ。

認知症になった義母に対する義父の苛立ちに、完璧な主婦を失った現実への怒りが透けて見えた瞬間、スイッチが入った。

義母は長年にわたり、完璧な主婦として家族を献身的に支えてきた。そんな彼女の献身が、家事ができなくなったという理由で一気に清算されるなんてフェアじゃない。たかが家事ではないかと猛烈に腹が立った。

清潔な洗濯物を提供できなくなったから、料理を作ることができなくなったから、掃除ができなくなったからという理由で、それまでの彼女の人生を否定することなんて、誰にも許されないはず。

主婦失格の烙印を押されてしまった義母を後方支援できるのは、私しかいないだろうと考えた。

この二つが、全力で逃げたいと考えていた義理の両親の介護を、私がスタートさせた理由だった。

※本稿は、『義父母の介護』(新潮社)の一部を再編集したものです。


義父母の介護』(著:村井理子/新潮社)

認知症の義母と90歳の義父。

仕事と家事を抱え、そのケアに奔走……。

ホンネ150%、キレイごとゼロの超リアルな介護奮闘記。