ほしい情報や正解に最短距離で

調べてみると興味深い関連性が見えてきました。読書の習慣は明治以降、一部のエリートから国民全体へと広まっていったのですが、いつの時代も労働者を勇気づける本がベストセラーになっています。

たとえば1871年に翻訳され、明治の青年たちを鼓舞したサミュエル・スマイルズの『西国立志編』。疲れたサラリーマンの妄想物語とも読める谷崎潤一郎の『痴人の愛』。また、高度成長期に愛読された司馬遼太郎の作品群は、持ち運びに便利な文庫本の登場と同時期に流行しました。

ですから、通勤中に気持ちを高める自己啓発本のような読み方をする人も多かったと考えられます。なじみのある作品も、「労働」という視点から読み直すことで新しい読み方ができる。執筆のための調べ物は、大変だけど楽しい作業でした。

平成から令和に入ると、長引く不況で日本人の労働に対する意識は大きく変化します。非正規雇用が増え、短期間での転職が当たり前になるなかで、「キャリアアップは自己責任」といった新自由主義的な価値観が一般化しました。

読書は、プライベートの時間を割いて仕事のための教養やノウハウを身につけるためのもの。ほしい情報や正解に最短距離で導いてくれなくては効率が悪いのです。そう考える若者たちにとって、それ以外の情報は不必要な「ノイズ」にすぎない。

たとえば、ある出来事についての歴史的背景や古典的教養、小説における予想外の展開や伏線を読まされるのが、「しんどい」と感じてしまうのです。

 

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆:著/集英社新書)
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆:著/集英社新書)