人生の95%は儘ならないけれど

私が初めてイギリスに来たのは20歳の時、知り合いは一人もいませんでした。持ち金はほとんどないし、仕事を見つけないと野垂れ死ぬような状況だったので、ガシガシ仕事を探して働きはじめました。やがてアイルランド人と結婚して、ブログを始めたのは30代の後半。当時はドロドロの中にいてドロドロを抽出して書いていたというか、若くて尖っていたし、社会に対しても批判的でシニカルだった。

でも20年経った今の私が書くエッセイは、同じように日常を描いてはいてもテイストが異なります。歳を重ねるごとに身辺に起きることやテーマが変化するのはもちろん、自分で言うのもなんですが、大人になって、以前より温和になりました(笑)。もしも『花の命は~』を読んでくださった方がいたら、比較していただくと面白いかもしれません。若い頃は「人生には小さな喜びが詰まってる」なんて言う人がいたら、綺麗ごとだ、偽善者だと斬り捨てたでしょうね。でも今は、そういうこともあるのかなと思う瞬間もある。変われば変わるもんですよね。

人づきあいにしても、相手をどういう角度から見るかによって状況が変わってきますよね。周囲にいる人の欺瞞的な部分だけを浮き彫りにして、「友達ってどうなの?」「家族なんていらないよ」とエッセイの中で批判し、毒づくこともできるのですが、人は誰しも両義的なので、醜いことと同様に「佳きこと」が起こるのも事実なのだから、毒づくために綺麗な部分を排除するのも嘘だなと。要は玉石混交なわけで、そういうものだよね、人の有害な部分だけ暴いていても本当のことってわけじゃないよねって、この本はそういうエッセイ集になったと思います。

「人生いろいろ」なんて言うと演歌みたいでベタですけど、実際、生きているといろいろなことが起こります。しかも私が思うには人生の95%は不愉快なこと、嫌なこと、面倒くさいこと、辛いこと、悲しいことで、人生は儘ならないことのオンパレード。でも、だからこそ5%の「佳きこと」に胸を打たれるのでしょう。そういう瞬間があるから人間って生きていけるのだなと思うのです。

『転がる珠玉のように 』(著:ブレイディみかこ/中央公論新社)
『転がる珠玉のように 』(著:ブレイディみかこ/中央公論新社)