危機感の先に希望がある
家事、仕事、育児、介護……。放っておいたら女性の人生は誰かのために生きることで終わってしまう。「ワンオペで大変」「毎日、忙しくて死にそう」って、もう言い飽きたのではないでしょうか? この状況を変えるために女性は声を上げなくては。それができたら日本はもう少し違う国になるのではないかなと思うのです。もっとも日本でそれをどう形にしていくのかは難しいところではありますけれど。「やれるか、やるべきかじゃない。もうやるしかない」みたいな、土壇場の危機感があれば、違ってくるんじゃないかな。
私は生きるために必死に働いてきました。息子が生まれてからも稼げる仕事を求めて保育士資格を取得し、貧困地域の無料託児所で働いた経験をもとに『子どもたちの階級闘争』という本を出版し……。行き当たりばったりもいいところなのですが。なんとかなるのが人生の不思議なところ。生きる力を与えてくれたのはいつの時も、なんとかしなきゃ死ぬという土壇場感でした。人が生きるために発揮する火事場の馬鹿力はあなどれないのです。サーッと頭が冴えて体が動き始める、後で考えると普段はできないような絶妙の決断を下していたりする、あの力ってどこから来るんだろうと思いますけど、人間にはそれが備わっている。あれは、一種の希望です。土壇場感は、危機感と繋がっていると思います。それは現実や物事をシビアに見つめるということでもある。家族の話とか、「ちょっといい話」みたいなことも書きましたけど、「時代や社会を見つめる」道具としても、このエッセイ集を読んでいただけるといいなと思います。足元のミクロな経験と、時代や社会といった大きなマクロは常に繋がっているものなので。
『転がる珠玉のように 』(著:ブレイディみかこ/中央公論新社)
「母ちゃんは、物事がうまくいってないときに俄然生き生きしてくるね」
福岡の80代父(職人肌)とイギリス人息子(思春期)の謎の意気投合、トラック運転手の夫と福岡の母が同時に重病に――
予想外の事件が舞い込む珠玉な日常を、ガッツと笑いで楽しむ英国在住作家のド根性エッセイ。