私たちが衝突しない理由
先生も私も、相手に「こうして」とは一切言いません。この年齢まで自分の人生を生きてきた者同士、お互い、大事なことやルーティンは変えず、一緒にいられることに感謝して、毎日を楽しんでいます。
そもそも先生には、家長的な性質がまったくないんです。それは幼くして父を亡くし、働く母親を支えて家事もこなしてきたからじゃないかと思います。男尊女卑的な考え方がなく、料理、洗濯、アイロンかけからボタンつけまで、何でもサラッとやってしまう。
お互いこれだけ年を重ねていると、好き嫌いがハッキリしていて、合わないことも多いのが普通でしょう。それで衝突する。
ところが、思想史の世界でひたすら思考して文章を書いてきた彼は、専門分野での集中力はものすごいけれど、それ以外はほぼ〈白紙〉。年齢を重ねた誰もが身につけているこだわりやワガママが皆無です。
感情を理性と知性で封じ込める訓練をしてきて、それがもはや性格となっている。だからずっと一緒にいても、衝突しません。これも私にとって初めての感覚でした。
一方で、先生はこれまで夫婦や家族に執着することがあまりなかったのではないかと感じています。愛情深い人なので、夫として父親としてできることを精一杯やってはきたけれど、夫婦や親子のあり方に疑問を持ったり、よくしようと働きかけたりすることはなかったのではないか、と。
ところが90歳を超えたいま、この結婚を通して、先生自身の人生を「生き直す」作業をしているようなのです。