鉄道好きの息子さんと家族3人仲良しショット(写真提供:露の団姫さん)

ペーパー離婚でより仲良しに

こうして17年3月、私は晴れて「鳴海」姓に戻ることができました。役所や病院の窓口で、「鳴海さん」と呼ばれるのが嬉しくて嬉しくて。

不思議なことに、事実婚状態になると、法律婚をしていたとき以上に夫と仲良くなりました。法律婚によって、無意識のうちに甘えが生まれていたんだと思います。婚姻届という最後の砦があるので、些細なことで「もう別れたるわ!」と啖呵を切れてしまうし、相手に対する言葉や態度がぞんざいになっていた部分もありました。

でも事実婚の場合は、相手を引き留める法的な強制力がいっさいありません。だから以前にもまして相手を思いやり、快適な距離感で接することを自然と心がけるようになる。おかげで、法律婚をしていた頃よりもいい関係になれたのだと思います。

私が仕事でお世話になっている弁護士さんの言葉を借りれば、「愛は法律を超える」とか。愛情や信頼で結ばれていれば、あえて法律で縛る必要はないんですね。伴侶の「侶」という字は僧侶の「侶」の字と同じで、「ともに連れ立つ仲間」という意味があるそうです。

まさに大治朗は私の唯一無二の《伴侶》。隣にいると心が安らぎ、可能なら24時間一緒にいたい、この人が死んだら私もすぐに死ぬやろうな、と思うほどです。たとえ法律の後ろ盾がなくても、その気持ちは変わりません。

親子の関係も同じです。いま審議されている、離婚後の夫婦に与えられる「共同親権」の話題になったときのこと。「私たちも持てるんだね」と、成立したらどうするか話し合ったのです。

でも考えてみたら、私に親権がなくても現状親子3人で幸せに暮らしています。それに万が一私がいなくなっても、夫は息子をきちんと育ててくれるという信頼がありますから、「やっぱり、うちは要らんな」という結論になりました。

10歳になった息子も、私たち夫婦の姓が違うことをまったく気にしていません。もともと、私たちのことは芸名で認識していたので、本名に関してあまり気にする機会がなかったというのもありますが(笑)。

ただ、「僕はなぜ『鳴海』じゃなくて、『井村』になったの?」と聞かれたことはありますね。そのときは、私はあなたを産んだので肉体のつながりがあるから、お父さんとは別の形でつながりがあったほうがいいと思って、お父さんの姓にしたと答えました。