平成30年1月、危篤状態。水分すらほとんど受け入れなくなる。意識は混濁、顔面には死相が浮かび、表情はない。特養に入所当時52キロあった体重は、38キロまで減少した。
しかしその後、母は危篤状態から生還し、平成最後の年を迎えた。特養の医師にも「希望はまったくありません」と言われたが、結局命を拾ってもらった。
だが、すべての機能を奪われ、これ以上もぎ取られるものも残されていない者にとっては生き地獄に等しい。死ねない環境というのは限りなく不条理だと感じる。特養に行くという選択は、なかなか死ねない環境に身を置くということだ。
母は終末期にありながらこの1年以上、高機能カロリーゼリーだけで命を繋いできた。38キロだった体重はさらに35キロにまで落ちている。このゼリーには、炭水化物、たんぱく質、ビタミンなどあらゆる栄養素が凝縮され詰まっている。味覚が低下した人は違和感なく喉を通っていくが、実際はかなりまずい。
数十年前の常識から考えれば、まるで奇跡のような話であるけれど、母の生命力が優れているのではなく、食品会社の商品開発力が勝っているとしか言いようがない。ある意味ではこのことが、死にたくても死ねない悲しい現実を招いている。
衰えて死にたくても死ねなくて
実は、母は元気だった頃、公証役場を訪ね、「尊厳死宣言公正証書」を作成している。しかし、これは現段階では生命維持装置につながれた人にしか効力を発揮しないようである。ここに母は死に臨む自分の指針を示している。なのに母は自分でも想像の及ばない病に侵され、その闘病生活を10年以上も強いられている。
不幸なことに、自分が考えていた道とはまったく違っていた。お寺で義理の両親と夫を見送った母は、自分も簡単に死ぬことができると思っていたのだろうが。