先進国の日本は健康寿命と死亡年齢が大きく乖離している。「迷惑をかけたくない。若い人たちの負担にはなりたくない」と口癖のように言っていた母の意図に反し、死ねない現実が与えられたことに深い悲しみと虚無感を覚える。

誰しも安寧な最期を願い、穀潰しにはなりたくない。実際に、介護保険には国民の税金が使われる。社会活動を一切していないのに、「母は遺族年金と国民年金を本当にもらっていいのだろうか」と罪悪感に駆られる。このままでは、国自体が高齢者医療費で破綻し、若い世代の人には到底年金など回らない、とやはり考えてしまう。

加えて、遠距離介護は負担が大きい。一番は往復の交通費。入所先が決まるまで毎週帰省していたこともあり、私のような一人っ子の場合、負担が重くのしかかることを身をもって知った。また、遠距離介護で再就労の機会も奪われた。私は結婚するまで高校で世界史の非常勤講師として働いていたので、もう一度、教壇に立ちたかった。

母には兄弟姉妹がいるが、皆それぞれ病気を抱え、自分を守るので精一杯。友人も極めて少なく、助けてくれる人はいなかった。父が他界するとき、母を守るために多少の現金を残してくれていたが、もしそれがなかったら、とっくの昔にわが家は崩壊していたと思う。

最初に連れて行った心療内科の医師の言葉が蘇る。「まだまだお母さんは元気ですが、これから長い旅が続きます。今後、確実に、あなたのお母さんではなくなっていきます」。

嫁いだお寺を慈しみ、愛していた母。お寺は住職が亡くなると、僧職ではない人は不要になる。私のいとこが後を継いだため、母の公的な役割はなくなった。

趣味をほとんど持たなかった母にとっては、お寺そのものが自分を支えてくれる存在。お寺と父と自分の存在が三位一体のように形成されていた。だから父が他界したとき、母の人生も明らかに様変わりした。

けれど母ほど、老いてからなお長い闘病生活を送った人も知らない。

その後、母が今年7月に他界するまでの15年間、私は母から、人間が避けては通れない、老いざま、死にざまという「最後の授業」を受けていたのだと思う。母に深く感謝したい。

 


読者ノンフィクション2019
男社会で揉まれてきた私が…高齢出産で授かった2人の息子の育児に降参です!
「体重35キロになってもゼリーで生かされて…「尊厳死したい」という母の願い空しく」
音楽教師の夢半ばで娘はこの世を去った。救いを求めて、恐山のイタコを訪ねたが…


今年も読者ノンフィクション募集中です!

応募はこちら