おままごとに誘う長女の声が消えない

長女が亡くなって10年後、次女が結婚することになった。偶然にも、次女の結婚相手は、長女と同じ愛称で呼ばれている。名前の漢字は違えど、私は不思議な縁を感じた。彼の母親は、この呼び名の響きが好きで名づけたのだという。私もまったく同じ理由で、長女の名をつけた。こうして我が家に再び、長女と次女の呼び名が響くようになったのだ。

さらに1年後、次女は女の子を出産。早産だったため、生まれてすぐ別室に移された。面会は両親のみに限られ、私たちはなかなか孫に会えなかった。ヤキモキしながら待つ間に、亡き長女の誕生日が近づく。もしかして、孫は私たちとの初対面を、長女の誕生日に合わせようとしているのでは……。私はドキドキした。ところが孫が退院し、私が彼女を初めて腕に抱いた日は、長女の誕生日の前日だった。

もし長女の誕生日に対面していたら、私は孫を生まれ変わりだと思い込み、長女との人生をやり直そうとしてしまったかもしれない。しかし、孫には孫の人生がある。私は祖母であり、母親ではないのだ。

孫はぐんぐん成長し、昔娘たちが使っていたおままごとセットで遊ぶようになった。すると孫のパパが、本格的な木製のミニキッチンを作ると言いだし、週末ごとに大工仕事を始めたのである。そしてついに出来上がったミニキッチンを見てはっとした。娘たちが子どもの頃のことを思い出したのだ──。

二人がまだ幼い頃。私が帰宅すると決まって娘たちは縁側におままごとセットを並べ、「おかえりなさい。いらっしゃいませ、なにがいいでしゅか?」と、レストランごっこをしようと待ち構えていた。

私は少し相手をするだけで、「続きは夕食後にしようね」と早々に切り上げる。でも夕食後に誘っても、二人はもう乗り気でなかった。彼女たちの寝顔を見ながら、私はいつも悔いたものだ。

私はフルタイムの仕事をしていたが、それを理由に子育てをいい加減にしたくないと思っていた。週末には手作りのケーキを焼き、公園などで一緒に遊んだ。できる限りの時間を、娘たちとともに歩んだつもりだった。

けれどあの縁側でのおままごとに誘う長女の声が、その後もずっと消えない。ほんの半時一緒につきあうだけでよかったのに。もうやり直しのチャンスは与えられない。後悔と懺悔の念で苦しかった──。孫のために作られたミニキッチンを見て、そんな記憶が蘇ったのだ。

このキッチンは孫のためだけでなく、おままごとをやり直せないと後悔する私に対しても、大きな意味があるように感じた。いつでもどんなことでも、その気になればやり直すことはできるのだと。

そう思いながらカーテンを開けると、真っ青な空の彼方で、6年ほど前に出会った観音様が、まばたきをして私に何かを伝えようとしているように感じた。