うなぎの匂いを置いてくる

誤解のないようにお話ししておきますが、私たち禅僧は、「おだやか」になることを目的として、修行しているわけではありません。

厳しい修行生活を送るうちに、結果として、おだやかに生きられるようになっていく。
そう表現したほうが、私の実感に合っています。

本来、人間の喜怒哀楽は、振れ幅が非常に大きなものです。
ポジティブからネガティブへ、あるいはネガティブからポジティブへと、私たちを振り回します。

ところが修行生活を終えると、なにが起きても、「お寺の修行僧堂での生活に比べたら大したことないな」と、余力を持って受け止めている自分に気が付くのです。

なにしろ、修行中は、ろくに食べられず、眠れず、足を伸ばすことすら、できないのです。
正座と坐禅ばかりで足はずっと痺(しび)れたまま。
動けるのは掃除のときだけ。

修行に入りたての頃は、入浴も満足にさせてもらえませんし、わずかばかりの食事ではお腹が減って夜も眠れません。

私は半月で10キロも痩せました。
それまでの「当たり前」を奪われたとき、人間は初めて「当たり前」のありがたさがわかる、ということなのでしょう。
いまでは、ちょっとやそっとのことでは、動じません。