禅においては、心おだやかに過ごす日々そのものが修行

私自身、その修行をしている最中です。
かつての私といまの私、比べてみると、「随分とおだやかになったな」と思います。

恥ずかしながら、昔はしばしば感情に振り回される人間でした。
売り言葉に買い言葉で、「あれはまずいことをした」と後悔していることも、一つや二つではありません。

坐禅をすれば、邪念ばかりが脳裏に浮かびました。
禅は、自分のやるべきことに没頭する「無心」を大切にしますが、自分がその境地に達することができるとは、到底思えませんでした。
しかしいまなら、無心に近づく方法がわかります。

心に浮かんできた感情や考えは、そのまま放っておけばいい。
浮かんでは消え、浮かんでは消えていく様を、眺めていればいい。

「感情に囚われるな、邪念を払え」
と言われると、いっそう囚われるのが人間の常です。

それは、「イタズラするな」と叱られた子どもが、かえってイタズラせずにはいられなくなるのと同じ。
修行を積んだ僧侶だって、実はそうです。

ならば、そのまま放っておくのが最善手。
そうすれば、私たちの心をかき乱す想念は、ひとりでに消えていきます。