もうやることに決まっていたようなものだった

鈴木貞一氏(『中央公論』昭和14年1月号より)

昭和16年夏の敗戦』の著者、猪瀬直樹氏は直接この鈴木氏にインタビューを行っている。

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「とにかく、僕は憂鬱だったんだよ。やるかやらんかといえば、もうやることに決まっていたようなものだった。やるためにつじつまを合わせるようになっていたんだ」

――「やる」「やらん」ともめている時に、やる気がない人が、なぜ「やれる」という数字を出したのか。

「企画院総裁としては数字を出さなければならん」

――「客観的」でない数字でもか。

「企画院はただデータを出して、物的資源はこのような状態になっている、あとは陸海軍の判断に任す、というわけで、やったほうがいいとか、やらんほうがいいとかはいえない。みんなが判断できるようにデータを出しただけなんだ」

――質問の答えになっていないと思うが、そのデータに問題はなかったか、と訊いているのです。

「そう、そう、問題なんだよ。海軍は一年たてば石油がなくなるので戦はできなくなるが、いまのうちなら勝てる、とほのめかすんだな。だったらいまやるのも仕方ない、とみんなが思い始めていた。そういうムードで企画院に資料を出せ、そういうわけなんだな」

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