なぜ開戦に踏み切ったのか

ではなぜ、その4ヵ月後の12月、開戦に踏み切ったのか。

『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹・著/中公文庫)

10月に組閣された東條英機内閣では当初、開戦をめぐる議論はまったくの平行線をたどっていた。最終的な争点はやはり石油の確保に集約されていく。そして11月初頭に提出されたあるデータによって、最終的な決着がついてしまうのだ。

そのデータとは、開戦後の石油保有量を予測した数字だった。要は、「開戦しても石油が確保できる」という根拠である。

この数字を提出したのは、当時の企画院総裁・鈴木貞一氏。

企画院とは、各省庁や陸海軍の間を調整し、総合的に国策を検討するために発足した機関であるが、実際は戦争のための物資動員計画本部といった役割を担っていた。