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22年間にわたり朝の情報番組『とくダネ!』でMCを続け、朝の顔として活躍した小倉智昭さん。2016年に膀胱がんを宣告された後、肺への転移も見つかる中で、活動休止と再開を繰り返しながら闘病生活を続けてきました。そして2024年2月、『とくダネ!』のコメンテイターで友人でもある古市憲寿さんを聞き手に、小倉さんが人生を振り返った『本音』(新潮社)が刊行に。今回は、がん治療の副作用で意識不明になった際のエピソードをご紹介します。
がんと同時に命も消えそうに
(太字:古市さん)
──発見自体は早かったのに、結局、ステージ4になったということですか。そこからどんな治療をしたんですか。
放置していて、もしもほかの場所、脳とかに転移したら大変だから、叩くことになった。肺からリンパを通ると、近いところとして脳に転移しやすいらしい。
そうなると今度は抗がん剤の治療ということになります。しかし、抗がん剤治療では全然小さくならなかったので、今度はキイトルーダという免疫チェックポイント阻害薬を試すことになりました。これは一時期高額すぎることで有名になったオプジーボと同じ系列の薬です。
高額だけれどもこれを使いましょう、となって1カ月に1回打つことになった。すると3回目くらいからどんどん小さくなって、4回目終わったときにはほとんど肺がんは消えたんだ。
──良かったですね。そんなに効くこともあるとは。
がんは消えたんだけど、同時に僕の命も消えそうになっちゃった。副作用で。
それが2022年の秋。そもそもがんが消えて喜んでたんだけど、腎臓の数値があまりにも下がりすぎているから、また検査しましょうってことになったんです。10月27日から検査入院することになっていたわけ。
ところが、その直前まで事務所がまた仕事入れるんだよね。検査入院の前にやたら仕事を入れるの。そうしたら入院1週間前の10月20日、日本テレビの「行列のできる相談所」の取材で日光東照宮に行ったときに、もう音を上げざるをえなくなった。
あそこ、階段があるじゃない? きついなと思いながら、小学生の子供たちにインタビューしたりと、頑張ってロケをやっていたの。でもロケが終わった頃に、もう駄目かもしれない、という感じになって。
翌日は大阪で仕事があったんだけど、多分向こうまで行けない。至急、先生に連絡した ら、翌朝一番で来てくれ、と。