(イラスト◎コーチはじめ)
〈発売中の『婦人公論』9月号から記事を先出し!〉
『婦人公論』が募集している「読者ノンフィクション」企画。今号から、90代の読者が自身の体験を書き上げた力作を1作ずつご紹介します。90有余年を生きた人だから書ける喜びや悲しみ、稀有な巡りあわせが、ひとつひとつの物語に詰まっています。上野れつ子さん(仮名・千葉県・95歳)は、終戦直後に出征した兄の帰りを案じて、姉妹である儀式を行ったそうで──

突然しゃきっとして指示を出す姉

あなたは「こっくりさん」をご存じでしょうか。言葉だけは聞いたことがあるかもしれません。どんな印象をお持ちでしょう。

ある辞典によれば、「狐狗狸。こっくりという霊を呼び寄せて、吉凶を占う方法。明治時代初期にアメリカ人によって伝えられたというが確証はなく、社会不安の多い時に流行し、のちには遊びとしても行われた」とあります。

そのこっくりさんを、私は呼んだことがありました。一度だけ。いまから70数年前のお話です。

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それはあの戦争が終わって間もない、暑い夏の日でした。ラジオの玉音放送で終戦を知り、日本中の人びとが将来を見失っているなか、すぐ上の姉が横須賀の軍需工場から富山のわが家に帰ってきました。

男は軍人になり、女は軍需工場で働くことが誇り、生きがいとされていた時代です。私はこの年の3月に女学校を卒業したものの、戦時中だけに将来の方向性などなにも考えられず、学校の専攻科に通いながら家事見習いのような毎日を過ごしておりました。

しかし3つ違いの姉は3年前に女学校を卒業するとすぐ、艦艇建造を担うなど軍需工場のなかでも第一線であった横須賀海軍工廠(こうしょう)に行くことを自ら志願したのです。