家族みんなで息を詰めて待つ
8月25日になりました。家族の誰もが信じきってはいないものの、もしかして、いや、どうぞ本当になってほしいと祈るような気持ちでこの日を迎えました。
母はお盆でさえ出さなかった素麺を取り出し、朝から出汁をとったり、作ったつゆを井戸に吊り下げて冷やしたり、畑へ野菜を採りに行ったりと、朝からいそいそ働いていました。
いつもは家事など一切手伝ったことのない明治生まれの父は、この日は自ら進んで行水のたらいを洗ったり、お湯を沸かす薪を割ったりして汗を流していました。その姿は私にはとても優しく映り、いつもの怖い父とは別人のように見えました。
いまかいまか、と待ちわびた長い夏の日が暮れました。が、なんの変化もありません。やはりあれは単なる迷信だったのだ。誰も口にはしませんでしたが、みんな言葉少なに夕食を済ませました。
ゆでた素麺とつゆは、井戸に吊るしたままになっています。でも、まだ最終の列車が一本あるはず。最後の望みは、その終列車なのです。
家族みんなで肩を寄せ合い、息を詰めているところへ、玄関のほうで「ただいま、帰りました」と兄の元気な声がしたのでした。
あなたはこっくりさんを信じますか? 私はその後二度と、こっくりさんを呼んだことはありません。
兄は99歳と5ヵ月を生き、亡くなりました。