一周忌を前に

娘時代の母は、高岡の税務署に勤めていました。朝ドラ『虎に翼』の寅子(ともこ)がちょうどいまそんな恰好をしていますが、まだ着物姿の女性も多い終戦直後に、大きな白い襟のブラウスを着て赤い鞄を持って出勤する母は目立ったのでしょう。高岡行きの氷見線のなかで父が見初めたと聞きました。

父の死後も富山で暮らしていた母ですが、周囲の知人がひとり、ふたりといなくなり、雪の多い土地でもあるので、娘孝行と思って私の住む千葉への転居を決めてくれたのは93歳のときでした。1年半ほどは私の家のそばでひとりで暮らし、同居したのは半年だけ。

でも、この半年の間にこれまで聞けなかった話を聞き、母の気持ちをたくさん知ることができたので、こうしていま母の話ができるのだと思います。棒針編み、カギ針編み、洋裁、水彩画……となんでも達者な人でした。

転居の知らせは50枚ほど自分でパソコンで作成、絵手紙も得意。40代から学んだ洋裁の腕も確かで、千葉にきてから2年足らずの間に、私の服を6着も作ってくれたほどです。

富山から持ってきたハギレで人生の最後に大作を作りたい、そのためには自己流ではなく教室で学びたいとパッチワーク教室に通い、2メートル近い作品も遺しました。

最後は肺に水がたまり、呼吸が苦しくなって26日間入院し、亡くなりました。入院もすべて自分で段どっていましたから、覚悟を決めてのことと思います。私は26日かけて、きちんとお別れすることができました。

『婦人公論』は母がバスに乗って書店に行き、買い求めていた雑誌です。亡くなる直前に書いた原稿が編集部の目に留まったこと、一周忌を前に掲載されたことは娘としてなにより嬉しい。母の墓前に供えたいと思っています。


※婦人公論では「読者体験手記」「読者ノンフィクション」を随時募集しています。

現在募集中のテーマはこちら

アンケート・投稿欄へ