定子との別れ、心の支えが失われた後の清少納言は……

清少納言の心の支えは完全に失われてしまった。

厳しい環境の中で定子への思いだけで、宮仕えを続けていた清少納言の意地もくじかれてしまった。

『ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』(著:下重暁子/草思社)

すでに三十五歳になっていた。それからあとの清少納言がどう過ごしたかは、よく知られてはいない。

定子の遺児たちの下に仕えることも考えられたが、それも中宮となった彰子が面倒を見ることになってはもはや居場所はない。父の残した家にもどって、「枕草子」の完成まで書き続けることに心血をそそいだ。

すでに清少納言が最初の夫・則光の後結婚した藤原棟世との間にできた子供達も大きくなり、下の娘小馬命婦(こまのみょうぶ)も十歳になり一緒に住んだと考えられる。

一方夫である棟世は、六十四歳という当時としては老齢になり、宮仕えに出た妻に今さら文句を言うでもなく、迎え入れたのであろう。

そのあたりは、諸説あって、清少納言の晩年は謎になっているが「枕草子」だけは清少納言の思いを乗せたまま確実に残されたのである。