今回のこの旅は、まず日本国内あちこち、それからトリノ、ベルリン、ポーランド、オスロ。熊本を出る前にお天気をチェックしたら、どこも日本と大差なかった。だからあたしは薄いコート一枚だけ持って夏服をつめて家を出た。ところが渡航直前、トリノの人たちとZoomミーティングしたら、かれらはセーターを重ね着して、突然すごく寒くなったと言っていた。南のトリノでそうなんだから北は推して知るべし。
そしたら入院中の枝元から指示がきて(あたしは東京で枝元のいない枝元の家に泊まっていた)、タンスの何番目のどこに何が、何番目にあれが、と似合いそうな厚めの服を考えてくれた。あたしはいつも借りている。ブラジャーまで借りることがある。
綿の白いコートがあった。それを持って出て、飛行機の中で着て、それ以来ずっと着ている。同行二人(どうぎょうににん)、お遍路さんがつねに弘法大師と一緒にいるという言葉だが、あたしは入院中の枝元を背負って、つねに一緒の心持ちである。
そういえばあたしがポーランドから帰ってきた次の年、枝元も転形劇場の公演でポーランドに行った。どこに行ってあれを食べよ、これを食べよと教えた記憶がある。枝元にとってもポーランドはそれ以来に違いない。懐かしくてたまらないに違いない。
同行二人のコートを着て、ポーランド行きのバスに乗った。そして窓にかじりついて外を見ていた。木々や草々や標識や。そのうちちょっとうとうとして、目が覚めたらポーランドだった。木々や草々は変わらないのに標識がポーランド語になっていた。