困った改訂

さて避病院だが、病院の記号とは別に定められたのは明治33年図式であった。この時点ではワッペンのみで十字がないものが「避病院及隔離病舎」(図2)、ワッペンに十字が通常の「病院」とされた。

ところが白いワッペンの意味が通じにくかったからか、明治42年図式でワッペンに十字の従来の「病院」を「避病院及隔離病舎」に転用し(図3)、ワッペンの上辺だけが2重線になった新しい記号を「病院」と定めたのである(図4)。

これはなかなか困った改訂で、おそらく当時から地形図の誤読は多かったに違いない。

ちなみに2重線の新しい病院記号は、大正3年(1914)発行の『地形図之読方』によれば、「陸軍野戦病院符号」に由来すると明記されている。

日露戦争が終わって4年後の図式であるから、203高地あたりに張られたテントに2重線と十字のマークがはためいていたのだろうか。

この記号はその後も大正6年図式および昭和17年図式(ごく少数の図に適用)まで続いたので、戦前の地形図を見る際には注意が必要だ。

記号凡例を見れば両者の区別はわかるが、図の左下の凡例欄で明治42年図式か大正6年図式であれば「現在の病院記号=避病院」と解釈すればよい(大正6年式はその旨記載しておらず、代わりに「符号ノ詳細ハ地形図々式〔別紙として頒布されていた=引用者注〕ニアリ」との一文がある)。