恐るべき人権侵害

病院記号に限らず、「図式」の適用については誤解が多いのでここで解説しておこう。ある地域の地形図を最初に刊行したのがたとえば大正7年であれば、当然ながら「大正6年図式」が適用されるのだが、時代の経過とともに何度かの修正版が刊行される。

戦後になっての応急修正なども同様で、昭和35年に修正版を刊行する場合、本来なら図式を変更して全面的に描き換えるのが理想だが、予算や時間、人員の制約もあって一気には進められない。

そのため「大正6年図式」のまま部分的な修正でしのぎ、ようやく昭和40年代に入って新しい「昭和40年図式」を適用するといった処置が珍しくなかった。

要するに、異なる時代の図式が同時期に混在することをお忘れなく、ということである。

避病院の記号は、ハンセン病患者の収容施設にも適用された。現在は国立療養所に含まれているが、かつては「癩(らい)療養所」と呼ばれ、国による徹底した隔離政策と一般国民の偏見や差別のため、入所者は戦後も長期間の滞在を余儀なくされた。

図3は香川県高松港から約8キロ沖に浮かぶ大島で、当時の呼び名である「癩療養所」と明記されている。

この図は明治42年図式だが、その字の傍らに記されている現在の病院記号と同じ形のものが、当時の避病院の記号である。ただし療養所によっては一般病院の記号で表されているケースもあり、これは個別の病院の相違に伴う判断なのだろう。

昨今では新型コロナウイルスの感染拡大防止のために外出自粛の辛さを多くの人が経験したが、この避病院記号の一郭に住んだかつてのハンセン病患者たちは、自粛どころか一生涯ここから出られないとの悲愴な覚悟をもって入所し、しかも親族に累が及ばないよう亡くなるまで偽名で通した人たちも多い。

それを考えると、あらためて恐るべき人権侵害であったことを思い知る。