「歌いながら描くと口の中にカラースプレーが入ったりしたけど、子どもたちとはしゃいでできたから楽しかったな」(写真提供◎株式会社亜土工房)

それから日本に帰ってきて、テレビで歌いながら絵を描くお仕事を始めたんだけど、これもお母ちゃんのおかげで。

オーディションを前に、「おまえね、美大出のすごい人は大勢いるんだから。人前で描くときは人と同じことをしちゃダメだよ。ちょっと工夫して、違うことやんな」ってアドバイスくれて、両手で絵を描くパフォーマンスを思いついたの。

私は左利きで、子どもの頃に矯正されたから、両方使える。ズボンの7つのポケットにいろんなペンやカラースプレーを入れて、一曲歌う間に透明なアクリル板に両手で絵を描いていくの。

歌いながら描くと口の中にカラースプレーが入ったりしたけど、子どもたちとはしゃいでできたから楽しかったな。あの番組には10年以上出演しました。

その頃は、収録帰りにお買い物するのも好きだった。香水や布地を買ったり、ダンス衣装のお店で、「バレリーナになりたいなぁ」って妄想したり。お買い物の後はちっちゃなラーメン屋でお腹いっぱい食べると、幸せになった。

一番落ち込んだのは、お母ちゃんが死んだとき。私が劇作家(故・里吉しげみさん)と結婚して、お芝居に出ていた頃、銀座の博品館劇場での公演中に亡くなって。舞台は何日も続いたけど、悲しすぎて、台詞を全部忘れちゃったりも。半年くらい、どこに行ってもメソメソしてた。

そのときも、音楽にはずいぶん助けてもらったなぁ。ジャズ歌手として脂の乗っていた時期だったので、歌を何十曲と覚えなきゃいけなくて。忙しかったから、落ち込んでる場合じゃないっていうのもあったかも。

お母ちゃんが亡くなってから、お父ちゃんはよくうちに来て徹夜でマージャンをしてた。気を紛らわせたかったんじゃないかな。昔から知ってる吉行淳之介さんや色川武大さんが、マージャンにつきあってくれてた。

でもね、男はかわいそうよね。悲しみのこらえ方が下手というか。お母ちゃんはそういうとき、ひとりで絵を描いたりお花を活けたりして心を慰めてた。お母ちゃんは強かったんだな。