清盛の心配り

たとえば『十訓抄(じっきんしょう)』には、次のような逸話が載る。

「清盛は相手のつまらぬ冗談でも笑ってやり、部下が失敗をしても決して怒らない。小姓たちより早く目が覚めたときなどは、彼らを起こさないよう音を立てずに部屋をそっと出、そのまま寝かせてやった。どんなに身分の低い者も、大勢の前では丁重に扱った」

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このような気遣いのできる人間だからこそ、家来たちも清盛に心服したのだろう。

心配りは臣下に対してだけではない。清盛は誰とでも円滑な関係を心がけ、敵をつくることを避けた。

一時、後白河と息子・二条天皇の対立が深刻になったことがあったが、このときも「ヨクヨクツツシミテ、イミジクハカラヒテ、アナタコナタシケルニコソ」という態度をとったと、慈円(じえん)の『愚管抄』に記されている。

つまり「アナタ」と「コナタ」の双方に配慮し、巧みに行動したという意味である。